表現アートを学習の向上(すべての子供の学ぶ力を向上させる)のために、教育に取り入れている活動があります。カナダにあるLearning
Through The Arts(「ラーニング・スルージアート」 アーツを通しての学習、以下LTTA)という団体です。公立学校でアートを取り入れたカリキュラムを実施し、カナダを中心に全世界で、教師やアーティストのトレーニング、学校へのバックアップが進められています。すべての子どもが学ぶ力を持っており、学習から取り残される子が一人も出ないように、というのがこの団体の目的です。この取り組みは表現アートをセラピーという枠組みで使うのではなく、芸術的表現を学習の促進と子どもの成長のために用います。そのためLTTAではセラピーと言う言葉は使いません。
LTTAのカリキュラムでは、主要科目(国語、算数、理科、社会など)の学習の促進にアートを使います。例えば数学を教える時に視覚アートを使い、語学を教える時に歌やドラマを用い、科学を教えるのにダンスを使い、社会科に物語等を用います。創造的な表現を使いながら学ぶことで、子どもの全人性を発達させようとしています。そして学科の学習の向上のみを目的にせず、すべての教科の結びつき、事物の相互関連性を子どもたちが学び、好奇心を失わず情熱を持って人生を生きていくことを援助したいと彼らは考えています。LTTAのプログラムでは訓練されたアーティストが教室を訪れ、教師とともに授業を作っていきます。
身体的な器用さに欠ける子どもは、社会的な接触から引きこもりやすいと言われます。そのような子どもには、創造的ムーブメント、音楽、視覚的アート活動を通して、抵抗感のない環境の中で、身体運動的な機能を伸ばしていきます。また知識を記憶するのが苦手な子どもに対しては、知識と視覚的なイメージを結びつけ、ドリルや九九などに音楽を加えて楽しく覚えやすくするなど、さまざまなアートを用いて、子供の学習をサポートしています。
LTTAの事務局長であるアンジェラ・エルスターが、私に語った具体的な例を挙げましょう。ある小学校で6年生の数学のクラスに、シンガーソングライターが訪れました。ジョニーという男子生徒が「算数は、大嫌いだ」と告白しました。掛け算が大の苦手なため、算数は、彼にとって拷問でした。その算数嫌いの彼のために、クラスのみんなで一緒に歌を作ることにしました。アーティストは、「アメリカの黒人たちが、昔つらい体験を歌にしたのがブルースなんだ」と説明し、みんなで「算数ブルース」を作ったのです。そしてその歌の中に、彼にとって難しい掛け算を思い出す歌詞が入れられました。数週間後に、算数のテストがおこなわれ、ジョニーは見事100点をとりました。学習が拷問となり、毎日いやいや学校に行く子どもにとっては、アート表現を使った授業が大きな救いとなることでしょう。この例からも子どもの輝く顔が見えてくるようです。
また場面緘黙(状況によりまったく言葉を話さない子どもだが、気質的な障害はない)の子どもが、LTTAのクラスで始めて言葉を話す事例も多いと報告されています。人とかかわることが苦手な子どもが、ドラマを通して人と交わることで、人との交流を楽しみ積極性を発揮するようになったり、自国の文化を恥じていた子どもが、アートを通して自国の文化を見直し自国文化に誇りを持ったりと、学業だけでなく子どもの全存在にかかわる向上が見られます。
このプロジェクトのユニークな点は、学校全体が合意した上で、プロジェクトに申し込むと、訓練された実際のアーティストが学校を3年間定期的に訪問します。そして教師とアーティストが協力して授業を作っていきます。現在幼稚園から高校までの公立教育に導入されており、2004年にはカナダの300校以上でこのプロジェクトがおこなわれました。ニューヨーク、スウェーデン、フィンランド、イタリア、シンガポール、マレーシアなどで、教師やアーティストのトレーニングがおこなわれています。日本でも2004年7月にLTTAからお2人の先生を招いて、講演会と研修会を行ないました(表現アートセラピー研究所主催)。日本で行われた講演会、研修会において、アート表現を使った興味深い授業がたくさん紹介され、普通の生徒だけでなく、知的障害や発達障害を持つ子どもたちにもとても有効であることが参加者に実感されました。
LTTAの活動の理論的な基礎には、ハワード・ガードナーの多元的知能という考え方があります多元的知能の考え方では、人間には7つの知能があると考えます。
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言語的知能―言葉を有効に効率よく使うことができる。 |
| (2) |
論理・数学的知能―数学を効率的に扱え、理論付けて考えることができる。 |
| (3) |
空間的知能―視覚、空間的な世界を正確に捉えることができる。 |
| (4) |
音楽的知能―音楽的刺激を上手に受け取り、聞き分けることができる。 |
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身体・運動的知能―身体を使い、考えや感情を表現することができ、器用さを必要とする作業を効率よく行うことができる。 |
| (6) |
人間関係的知能―他人の気分、動機、感情などを理解することができる。 |
| (7) |
内省的知能―自分のことを知り、それに応じた行動ができる。 |
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今まで知能検査等で計っていたのは、この7つの知能のうち(1)と(2)の知能のみということになります。そして現在の教室で行われている教育は、(1)と(2)の知能が高い生徒しか効率よく学ぶことができず、他の知能が高い生徒にとって適した教育ではないとLTTAと考えます。学習のスタイルも多様性があり、7つの知能のすべてを刺激するような学習環境が好ましいのです。
日本で行われた研修の中で紹介されたクラスでの実例を紹介しましょう。
ひとつは、数学の授業をダンスで教えるというものです。高校での授業で実際に行われた例です。
円についての学習にダンスが取り入れられました。授業の目標は、円、円周、円の中心、そして弦(中心を通らない円周の二点を結んだ線)の概念の理解です。この概念をダンスを通して教えます。まず何人かの参加者(7,8名)に前に出でもらいました。デモンストレーションは授業とまったく同じに進められました。
「皆さんは、これからダンスをつくります。からだのポーズや動きで、円周、中心、そして弦を表現してください。ダンスにははじめと終りがあり、動くことも静止することもダンスです」と講師は説明し、どういう動きで、それぞれの概念を表現するかを生徒たちに相談してもらい、少し練習してもらいます。
ダンスの始めはどのポジションで始め、ダンスはどのポジションで終わるかも相談して決めてもらいます。最後にグループが作ったダンスを披露してもらいました。生徒役の参加者はみな楽しそうに話し合いながら、ダンスを作っていきました。先生は技術的な指導や美的な指導はしません。ただダンスの枠組みを説明し、後は生徒に任せます。
これを見ていて感じたのは、このやり方で一度ダンスすれば、この概念については一生忘れることなく体感として残るであろうということでした。そして最後のダンスは、見ていてこちらも楽しくなるようなものであり、技術的には高度なものではありませんが、美しさや調和を感じさせるものでした。生徒役になった参加者の感想も、「楽しく学べた。こうして学んだものは忘れがたい」というものでした。
そのほかにもダンスで図形の対称、非対称を教える例や、社会科で他国の文化について学ぶときに物語(ストリーテリング)とドラマを使って教える例など、さまざまな実例が示されました。レクチャーの中、脳の構造について学ぶ際に、参加者がいろいろの脳の部分になり、それぞれの脳の役割を演じることで脳の仕組みを理解する試みもあり、参加者も心やからだ、自分の個性や人間性をフルに使いながらの学習を体験しました。
他文化を理解するためにその国の物語を使っての授業の実例では、その文化圏に住む人々の個性や喜び、苦悩が伝わってくる内容となっており、社会科の授業でありながら情操教育も同時に行われ、他文化の尊重や理解も学習する機会が提供されました。
LTTAの講師が紹介した最近の脳研究では、芸術活動を行った後の脳細胞では、ニューロンが著しく成長するという結果も示されました。
ある概念や科目の学習のために芸術表現を使うことが、非常に有効であることをLTTAのプログラムから実感しました。ただし学習という枠組みの中で芸術表現を用いるので、自由な自己表現とは異なります。そのため自由な芸術的表現が許される時間や体験は、しっかりと確保する必要があります。